slide
slide
Interview
山崎彩子
Interview
何かを決めるとき、立ち止まって考える人もいれば、気づけば動き出している人もいる。
料理家・山崎彩子さんの選択は、どこか後者に近いものがある。
サインを見逃さずに、坂道を転がるように、次の場所へと進んでいく。
札幌から弘前へ、そして岩手へ。
店を持ち、手放し、また別のかたちで食に関わっていく。
それは計画された道というより、坂道を転がるように続いてきた時間だったのかもしれない。
紫波町おこし協力隊でもある山崎彩子さんに、
これまでと、これからのあいだにある話を聞いた。
取材日|2026年3月
編集 | 佐々木新 写真 | 山本康平、馬場猛

AS : 幼少期はどのような子どもでしたか?
AY : 生まれは札幌で、特筆すべきことがない住宅街で育ちました。年齢が離れた三姉妹の末っ子で、小さな頃は可愛がられていましたが、大きくなるにつれて姉妹間の喧嘩も多くなっていきました。ちょっと生意気で、学校では少し場を乱すような子どもでしたので、友人ともうまく交流ができなかった記憶があります。
AS : 動物好きは幼少期の頃からだったのですか?
AY : 獣医になりたかったくらいの動物好きで、幼少期から鳥や猫を飼っていました。弘前に出た後も猫を保護し、ずっと生活を共にしてきました。
AS : 弘前に行くことになったきっかけは何ですか?
AY : 高校を卒業して、札幌の医療系専門学校に入学しました。看護師も考えましたが、小さな頃から人と接することが苦手という自意識があったので、臨床検査技師を選びました。弘前を選んだのは、国家試験に合格し、急いで就職活動をする中、たまたま興味がある分野の求人募集が弘前大学病院にあったからです。他に選択肢があまりなかったので、ほとんど消去法に近い感覚でした。

AS : その後、弘前では「ゆぱんき」というお店をやられますよね。どのような経緯で飲食店を営むことになったのでしょうか。
AY : 大学病院に勤めている時、奈良美智さんの展覧会があって、ボランティアとして働く機会に恵まれました。その展覧会では、AからZまでのコンテンツが小屋で運営される構成になっていて、その中にボランティア運営のカフェもありました。私は奈良美智さんの熱烈なファンだった訳でもなく、ただ、女の子なら一度はやってみたいという理由でカフェのブースに入りました。そこで運営の仕方、店の成り立ちのようなものを経験しました。
AS : その経験から「ゆぱんき」を始めようと思ったわけですね?
AY : 展覧会が終わると、カフェも当然消えてしまうのですが、飲食店をやりたいという気持ちだけは残っていました。「ゆぱんき」は客として何度か行っていましたが、その時は閉まっていて、新しい店主の募集をしているという噂を聞きました。そこでオーナーに連絡して尋ねてみると、実は募集はしていなかったのですが、「やるなら貸すよ」と言われて 笑。

AS : 凄い行動力ですね。生業として始めることに不安はありませんでしたか?
AY : 当然不安でしたが、周りの友人は「やれるよ」と言ってくれました。もちろん、両親は大反対でした。友人が皆が背中を押してくれて、調子に乗ってしまった 笑。私は何か決断する時、坂道を転がり続けるような感覚になる時があります。自分では止めようもなく、何のつっかえもなくコロコロと転がっていく 笑。怖いよりも挑戦してみたい気持ちが強いとそのような感覚になる気がします。でも、そういう状態の時に一番ポテンシャルが発揮できる気がします。いま、振り返ると「できないこと」を「できる」と宣言してしまって、結果的にできるようにしてきた人生だったと思います。
AS : 周囲に肯定してくれる人がいるとポテンシャルを発揮できるのですね。
AY : 私は基本的に自己肯定感が低い人間だと思っています。料理をどこかで修行をしたという経験もないので、立ち返る場所というものがない。だから自分が提供するものに自信がなくて、他人の評価をすごく気にしていました。「ゆぱんき」をやっていた時も、その都度反応がもらえないと精神的に参ってしまう時もありました。

AS : 「ゆぱんき」はどのようなスタイルのお店だったのでしょうか?
AY : コーヒーを一杯ずつ手挽きするような、時間を忘れてゆっくり過ごしてもらう空間を目指していました。定番と呼べるとしたら季節の野菜を中心としたプレートランチですが、そのメニューになったのは、ヴィーガン思想からではなく、顔が見える生産者さんから直接購入できるものを選んだからです。それは野菜でした。
AS : 思想から始まるということを否定する訳ではありませんが、地域の中から自然に立ち上がっていく形が美しいと感じました。「ゆぱんき」の営みを続けていくことで変化していったことはありますか?
AY : お店の他にイベント運営をしていたのですが、その両立に苦しんで体調を崩し、一年間ほど実家で休んでいた期間があります。その間に、札幌の石田珈琲店、ごはんやはるやで仕事をさせてもらったりして、経営をゆっくり見直す機会に恵まれました。その後、「ゆぱんき」を再開することになるのですが、料理の手間暇の掛け方、顧客回転率、休暇の取り方など、持続的な経営を意識し、改善していくようになりました。
一番劇的に変化したのはコロナ禍のタイミングです。強制的にお店を開けられなくなり、営業時間も制限して、予約制のお弁当と焼き菓子のテイクアウトだけを提供するようにしました。この決断で精神的にはかなり楽になりましたね。持続化給付金も配布されたので、良い機会だと思い、お店も週一回のみの開店にして、農業の勉強を始めました。

AS : コロナ禍で強制的に変化を求められたことで、結果、再構築できたのですね。その後、「ゆぱんき」を辞めるまで、どのような過程があったのでしょうか?
AY : 「ゆぱんき」を営んでいる時、友人の料理家・橋本玲奈さんから、遠野「クイーンズメドウ・カントリーハウス」で料理を作ってみない?という誘いを受けて、月一回くらいのペースで通うようになりました。その頃、「ゆぱんき」では、テイクアウト制に移行したこともあり、一つの区切りのようなものが私の心の中にできつつありました。また、そのタイミングでお店を引き継ぎたいと申し出る人が現れたことも大きなサインだったと思います。岩手から引っ張られる感じもありましたし、次の人に「ゆぱんき」を渡すタイミングも重なって、肩の荷が降りた感覚がありました。

AS : 山崎さんは動くべきタイミングが実に的確であるような気がします。動物的な勘というか、見逃してはいけないサインをしっかり認識して、地ならしをしてから坂道を転げるように動き出す。
AY : プランニングディレクターの西村佳哲さんから「場所も役割もいつか溢れ出す瞬間がある」という印象的な言葉をかけられたことがあります。表面張力で膨れ上がったものが溢れていくようなイメージですね。「ゆぱんき」を辞めたいと思ったことは何度かありましたが、いま振り返ると、準備が整っていなかった。当時は「お店があってこその私」、「ここにいないと価値がない」という想いが強くて。それが、コロナ禍や「クイーンズメドウ・カントリーハウス」の経験で少しずつ脱げていったような感覚があります。

写真 | 馬場猛
AS : 紫波町に移住しようと思ったきっかけは何ですか?
AY : 遠野「クイーンズメドウ・カントリーハウス」の仕事を続けることが核にあって、岩手に移住しようと思いました。北東北3都市を回る展示即売イベント「さんかく座」を共催していたこともあり、盛岡には友人も結構いたのですが、甘えて頼りすぎるのも嫌だし、住むには都会すぎる印象を持っていました。だから、その周辺のまちを実際回って決めようと考えて、最初に訪れたのが紫波町でした。盛岡の家具店「 Holz」オーナー・平山貴士さんに、紫波町地域おこし協力隊の佐藤省吾さんを紹介してもらい紫波を案内してもらいました。そこでお会いした方々が「ゆぱんき」の活動を知っていてくださって、ご縁を感じたのが契機です。また、省吾さんから地域おこし協力隊での働き方などを教えてもらい、まちでの需要もありそうだと感じたことも大きいです。
AS : 紫波町に移住して、実際、暮らしてみていかがですか?
AY : かなり快適です。地域おこし協力隊として安定した収入があることも大きいですが、周りの方々から言葉として良いフィードバックをいただく機会に恵まれています。これまでのキャリアを買ってお仕事をリピートして下さることも多く本当に嬉しいです。

AS : 言葉として良いフィードバックをもらえることは嬉しいですね。
AY : 弘前にいた時は、私個人の問題で、とにかく余裕がなくて、フィードバックを受け取る受容体が整っていなかったのかもしれません。受容体の底が抜けていたら何も堪らないですからね。
AS : お店に常に立たなくても良いということも大きいかもしれませんね。お店に立つ人も当然人間ですから、人に会いたくない時もある。でも立たなければいけない。山崎さんは人に会って自分を開放する時は誰よりも深く広げてしまいそうですから、閉じてしっかり溜めるには時間がかかる、そんな印象を受けました。
AY : 「クイーンズメドウ・カントリーハウス」に通い始めて、「いつも笑顔ですけれども無理していませんか?」と尋ねられた時があります。でも、私は心から楽しくて、しっかり期間が設定されていれば、心の準備ができるんだと思いました。馬がいることや一緒に働くスタッフの方々が優しいということはもちろん大きいですが、毎日同じことをするのが苦手な私にとって、準備期間というのが大切だなと。いまは働き方や環境が変わったことで、心が乱れても自分で立て直せるくらいの余裕があります。

AS : 食に関わる仕事を長年やってこられた訳ですが、いま料理という行為をどのように感じていますか。
AY : 女の子なら一度はやってみたいというような気持ちから食の世界に入って、こんなに長くやり続けていることに正直驚いています。いまでもプロフィール上、料理家と書かざるを得ない場面はあるのですが、本当は恥ずかしくてしょうがない 笑。「ゆぱんき」の時代は食を生業としている感覚がなくて、場所がなくなって初めて料理家という職業を自覚したように思います。料理が楽しいというのは確かなことですが、それ以上に次のために必死だったりします。
AS : 具体的にどのようなことに取り組んでいるのですか?
AY : 「クイーンズメドウ・カントリーハウス」では3、4泊と連泊される宿泊客が多いので、毎日料理を提供することになります。毎日同じ人にご飯を食べてもらう訳ですから、どうやったら飽きさせず、胃を疲れさせずに料理を提供できるかを必死で勉強しています。きっと料理のベースがないから余計にそう感じているのかもしれませんが、そこが面白いと感じてくださっているかもしれません。

AS : かたちがないからこその面白みが評価されているのかもしれませんね。
AY : 最近それでいいんだと少しずつ思えるようになってきました。正解がわからなかったから、手探りでやってきましたが、ようやく自分の料理のかたちが見えてきたような、、、料理を生業にしているという自覚がようやく芽生えてきました。

AS : 料理以外に何かをつくるという可能性はありますか?
AY : 納得していないことをするのがとても苦手なのですが、やりがいを感じられることだったら料理にこだわらず挑戦したいという気持ちは常にあります。農業はいまでもやりたいことに入っていますが、性格的に加工までやりたいので両立は難しいと感じています。あと、最近始めたことでは、竹編みも一つの候補です。まだ販売できるようなレベルではないのですが、将来的には、自分でつくったお菓子を入れてセットにしてみたいと考えています。
AS : 手を動かすお仕事が好きなのですね?
AY : いえ、実は手先は不器用です 笑。単純に篭がとても好きなんです。好きが上回れば続けられる。奇跡的に教えていただけるサークルに所属させていただいているので、なんとか習得したいと思っています。食べるものは消えてしまいますから、残るものをつくってみたいという気持ちがずっとありました。

AS : 「koma」という屋号が付けられていますが、どのような由来なのでしょうか?
AY : いま飼っている猫の名前が「こま」でそのまま屋号にしているのですが、ずっと飼っていた「まめ」も関係しています。「まめ」は「ゆぱんき」時代、私が辛い時にも一緒に連れ添ってくれた猫で、なかなか他の猫と仲良くしない気難しい性格でした。何匹か共生を試みたのですが、どうしても「まめ」と合わなくて。そんな状態が長く続いていたある日、庭に黒い猫が現れました。妙に人懐っこい猫で、運命を感じて家に入れたのですが、折り合いがつくかわからないから、情が湧かないように、仮に小さいマメという意の「こまめ」と名付けました。その後、意外にも「まめ」とうまくやってくれて、正式名称になりました。屋号は、「こまめ」の略称で「こま」と呼んでいたことと、私が好きな馬もまた、小さな仔馬のことを「駒 (こま)」と呼ぶことが重なったからです。
AS : なるほど、山﨑さんらしい、いくつかの物語が重なるネーミングですね。とてもしっくりくる響きです。
AY : 私の中では天国に行ってしまった「まめ」も、「こま」に入っているのでとても気に入っています。

AS : 移住者として苦労や困難はありましたか?
AY : 実はほとんどありません。通常であれば初めましての関係性からスタートしますが、誰かしら共通の知人がいたり、SNS上ですでに繋がっていたり、お互いをある程度知った上で進んでいくことが多いです。例えば、「はちすずめ菓子店」の静香さんとご挨拶した時は、SNS上で相互フォローしている間柄ということもあって、産休中にキッチンを貸していただくことになったり、とんとん拍子に物事が決まっていきました。移住者に対して心が広いというか、開いていると感じることが多いです。また、人間関係も、しっかり気遣ってくれるのですが、気にしすぎることもない、程よい距離感が保たれているように感じています。
AS : 移住して、新しい出会いや、新しいお仕事の展開はありましたか?
AY : 地域おこし協力隊という立場なので、これまで関係がなかった、例えば保育園のような分野の方々とお仕事をする機会が増えました。私は子どもがいないので、少しでも子どもの未来に関われることは本当に喜ばしいこと。可能性と選択肢が一気に広がった感覚です。
AS : 将来の目標、やりたいことはありますか?
AY : これまでと同じように、目の前の小さなことを、一つずつやっていきたいと思っています。いま考えているのは、仕事用に自分専用のキッチンを持つこと。場所次第ですが、クライアントワークと両立できるような形でお店を持つことも視野に入れています。また、他に挑戦したいことは、野草を使用したお茶。「クイーンズメドウ・カントリーハウス」の周辺に自生している植物をお茶に加工して提供できたらいいなと思っています。
