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Interview

星 真土香

“わたし”に還る、”わたし”を生かす

インタビュー

Interview

 今回取材したのは、畑をフィールドに健康的な町づくりを目指す『畑多楽縁』を主宰する星真土香さんです。『畑多楽縁』は、社会的処方をコンセプトに、サードプレイスとして人と人とのコミュニケーションを大切にするコミュニティを目指しています。

 真土香さんは、畑でコミュニティナースとして、病気や障がいの有無に関わらず地域で生活する人を対象に、日常の健康意識を高め、病気の予防につとめるだけでなく、心のケアまで幅広く関わるお仕事をしています。心身を総合的に診て、初期段階での健康状態の把握や一時的な救急処置、日常的にみられる病気や軽度の外傷の治療、訪問診療などを行い、特殊な症例については、専門医に紹介する役割を担う、イギリスやオランダでよく見られるプライマリ・ケアに近い営みとも言えるかもしれません。

 『畑多楽縁』での真土香さんはとにかく動き回り、周囲に光をあて、場の空気をあたため、人の心を解きほぐしていきます。生きとし生けるものへ分け隔てなく、恵みを降り注ぐ太陽のような存在です。そのようなパフォーマンスを引き出せるのは、真土香さんがHOMEとしての「畑」をフィールドにしているからかもしれません。幼少期から田畑がすぐ傍にあった真土香さんにとって「畑」とは、自分の原点に近い、いわば、“わたし”に還る場所であり、“わたし”を生かす場所でもあるように感じられました。

 今回のインタビューでは、社会的処方について、コミュニティにおけるコミュニケーションの働きや、それを機能にさせるデザイン構造、チームづくりの在り方を探るだけでなく、星真土香さんの人間性を読み解くことで、豊かに暮らす上で大切な「“わたし”に還る」「“わたし”を生かす」ということを探求しました。

  • MH : 星 真土香 (畑多楽縁)
  • KA : 有原 寿典 (くらしすた不動産デザイン室)
  • AS : 佐々木 新 (人 to ひと 編集長)

畑や川の傍で育った幼少期
原風景は雪のホワイトキャンバス

AS : 幼少期はどのような環境で育ちましたか?

MH : 祖父母が農業を営んでいて、両親は会社員をしている兼業農家の家に生まれました。周囲には店もなく、町まで8kmぐらい離れているような場所でした。北上市と江刺市(現奥州市)の市境だったので、小学校は北上、中学校は江刺、高校は北上といったように友人もそれぞれの場所に分かれていました。遊び場は、主にビニールハウス、田畑、川です。北上川が近く、また他にも小さな川に囲まれていたので、離島で暮らしていたような感覚があります。

AS : ご兄弟はいますか? またどのような遊びをしていましたか?

MH : それぞれ3歳ずつ離れた兄と弟がいて、よく喧嘩していました。生きていくには戦っていくしかなくて笑。女の子らしい遊びをした記憶はあまりありません。トンボに糸をつけて散歩したり、ザリガニを分解したり、川に入って遊んだり、男の子らしい遊びが中心でした。

KA : 僕もよく川に入って遊んでいました。いま考えると結構危険な遊びですが、昔は血縁関係がないけれども近所に年上の兄のような存在がいて、見守ってくれていたような気がします。

AS : 今は子どもに声を掛けるだけでも怪しまれますよね。僕も経験がありますが、当時は危険なことをしていると、見知らぬ人に怒鳴られたり、第三者による社会の目が機能していた感覚があります。子どもも大人も同じ社会を生きている感覚というか。幼少期の記憶でいまでも残っている原風景はありますか?

MH : 冬になって雪が降ると、周囲の田畑が真っ白なキャンパスになります。そのホワイトキャンバスに架空の建物の図面を描いて遊んでいた記憶があります。また、夜に降る雪は本当に美しかった。積雪によって音が消え、月によって輝く雪景色がどこまでも広がっていました。そのような幼少期の記憶のせいか、冬の到来が本当に楽しみになりました。

AS : 真土香さんの心象風景は美しいですね。パブリックイメージとして明るく強いという印象だったので、勝手に夏が好きなのかと想像していました。動と静が共存しているというか、外と内のバランス感覚が興味深いです。

KA : 田舎で生まれた人は「何も無い」ということを前提に、あらゆるものを受け容れないとやっていけないということがあるのかもしれません。僕は祖父母の家で自然を体験しましたが、その後、綺麗に整備された土地に同じような家が建ち並ぶ、地方都市を象徴するような場所で育ちました。誰かが意図的に美しいものをデザインした訳ではなく、こちらの受けとり方の問題で、自分が美しいと感じながら育った。だからこそイノセントなのだと思います。

AS : 幼少期の頃は自ら選択できることは少なくて、暮らす場所や環境は親に依存しますよね。その段階では良し悪しの判断ができなくてただ受け容れるしかない。それから成長して比較するものが増え、結果、相対的な視点を得ることで、原体験を美しいものとしてインストールできるのかもしれません。あるいは、インストールされた原風景を再解釈することで変わることもあるような気がします。幼少期の原体験とコンフリクトするような都市生活の経験を経て、それぞれを比較すると、より一層美しいものに映ったりする。





多くの死に直面した看護師時代

AS : 高校を卒業してからどのような進路を歩みましたか?

MH : 高校卒業後は滝沢の看護学校へ進学しました。実は看護師ではなく刑事を目指していたのですが、大半が看護に進むクラスだったので、流れに乗ったというのが正直なところです。だから実習や勉強が嫌いでした笑。

AS : 長く看護の仕事に携わり、現在も看護師としての経験を糧に仕事をされているので意外です。何がきっかけで看護への意識が変化したのでしょうか?

MH : 看護に真剣に向き合うようになったのは、20歳の時、病院実習で受け持ちだった私と同い年の患者さんが急に亡くなったことです。同い年の人も亡くなってしまう現実を目の当たりにしました。それ以来、“死”について、“生きること”について以前よりも興味を持ち考えるようになったと思います。

AS : 看護師としてはどのくらい働いたのでしょうか?

MH : 特別な理由はとくにないですが、10年は看護師を続けようと思いました。それで、10年経つその時に看護師を辞めたいと思ったら辞めよう。それだけを理由に10年駆け抜けました。病棟勤務はとにかく多忙でした。そんな10年を目前に起きたのが東日本大震災でした。地震なのか区別が付かないくらい今まで経験したことがない激しい揺れでした。電気も止まり、薬も食料も限られた中で、すごく野生的になっていたと思います。生活圏内で津波が起き、多くの方が亡くなりました。私は生かされたのか?と思わされるくらい生きているのが当たり前に思えない状況の中にいました。その事がきっかけで、自分の生き方についてさらに考えるようになり、単純ですが「生きているうちに好きなことをしよう」という決意が固まりました。

KA : 仕事を選ぶ時、やりたい職業を目指して逆算しながらプランニングしていっても、上手くいく人は限られている。ある種、状況を受け入れて仕事をしていて、初期の動機と重なっている人は結構少ないのかもしれません。真土香さんも最初はあまり望まず看護師をしていましたが、同い年の患者さんの死を目の当たりにして視座が変わりました。そして、その後も多くの死に直面し、さらに震災によって、病気ではない人々が亡くなっていくのを目の当たりにして働くことへの視座がさらに変容していった。こうした変化によって、何かを失ったり、あるいは得たような感覚はありますか?

MH : 人が亡くなる場面に何度も直面すると当然ですが気分は沈みます。しかし、その直後に別の人を看なければいけないという状況が強制的にやってくる。だから良くも悪くも感情をコントロールする術を自然と身につけていったような気がします。数多くの死が日常の中にあるので、感受性が環境に順応していく生きる術を得たと思います。




在宅医療の現場で見た穏やかな死

KA : 現場によって死の捉え方が変わったりはしますか?

MH : 在宅医療の現場は病院と少し違う特性がありました。そこで出会った患者さんは、ピースをしながら亡くなったり、パートナーと抱擁しながら亡くなったり、ビールを飲みながら亡くなったり、穏やかな最期を迎えていました。在宅医療の現場では、患者さんの「こう生きたい」ということを一緒に考えて実現できるよう関わってきました。たとえば、病気を患っていても映画館に行きたいとか、コンサートに行きたいとか、そのような希望を実現するために私たちも力をあわせる。当然、常にリスクと背中合わせなのですが、小さな望みを実現することの積み重ねの先に、その方らしい最後を迎えられるのだと思います。精神的な充足が作用して、「生きる」というエネルギーが湧いてくることも在宅医療の現場で学びました。

KA : 在宅医療は具体的にどのような形で行われるのですか?

MH : 仙台の往診を専門にするクリニックに4年間勤めていました。病気で通院が困難な方が適応となり、自宅に訪問して医療を提供します。毎朝、事務所からドクターとナースが5、6台の車に乗って、仙台から松島、東松島、七ヶ浜と海岸の方まで回ります。患者さんの自宅のベッドには、呼吸器、透析装置、輸血などもあり、病院と同じような治療もおこなっていました。

AS : 病院の勤務から在宅医療へ移った理由は何でしょうか?

MH : 看護師として10年間働いた後も看護師の資格を活かして研究の分野で働きながら、仙台にある居酒屋で5年間ほど働きました。そこではお客さんの健康面の相談や生活の相談に自然と応じていました。飲み方のレクチャーをしたり、どうしてもお酒をのみたいんだ!という方の訴えに耳を傾けたり、「背中が痛いんだけど何科に行ったらいいのか?」と言う相談には、症状とその方の生活の特性から推測して受診する科をアドバイスしたり、病院で働いている時より社会的に役に立っているような気がしていました笑。そのような経験を経て、私が活きるのは病院ではなく、より日常生活に近い場所だと思うようになって、在宅医療という職場を選びました。また、後から気づいたことですが、テレビで観た、阪神淡路大震災の時に家を直接まわっていた看護師の姿の記憶が、自然と在宅医療の道へ導いたのだと思います。

AS : 仙台での在宅医療を経て、その後、岩手県紫波町に赴くのはどのようなきっかけからだったのでしょうか?

MH : 病院内での勤務より在宅医療の方が私には向いていると考えていましたが、やはり、日常の中に死があるのは辛かったですね。そのような時は居酒屋のアルバイトが心を癒してくれました。患者さんの死に直面した後も、一方で居酒屋という場で人が楽しそうに飲んでいる姿をみると心が楽になれたのです。私はコミュニティの在り方、人の力、場が持つ力を居酒屋で学びました。そして、いつしか、私自身の力で、人と人の豊かな繋がりが生まれる場を作りそこで出会った人が困っていたら一緒に「どう生きるか?」を看護師の経験を活かして考えていきたい、と願うようになりました。また、これからは病気になる前の人々に関わっていきたいと思うようになり、より地域に根ざした場所での働き口を探していました。そのような時、偶然知り合いの先生が、岩手県紫波町との繋がりで地域おこし協力隊のお仕事を紹介してくれたのです。

AS : 同じ会社で、同じ職種で働き続けるよりも、これまでに培った技術や経験を活かして流動的に他のフィールドへ進出していった方が、個人としても社会全体としても良いのではないかと思っています。真土香さんの働き方を見ていると、看護師として培ってきた経験やスキルが病院という領域以外でうまく活かされた良いモデルになっていると感じます。居酒屋での経験は意図していなかったことかもしれませんが、看護師としてのスキルが周囲に必要とされていたことを証明していますし、町の至るところに病気の予防を促す場が存在することは孤立化や高齢化が進む社会で望まれて然るべきことだと思います。真土香さんのような働き方を分析することで、再現性のある新しい働き方のヒントがあるかもしれませんね。

MH : 私も辛い思いばかりしているよりは過去に学んだことを活かすことができる、新しいフィールドに挑戦した方が良いと思います。

AS : 看護師時代に鍛えられた能力や居酒屋で体感したことが、『畑多楽縁』では本当によく反映されていると思います。特に空間全体を俯瞰して観察し、必要なサポートを瞬時に見分ける能力は素晴らしいと感じます。それだけでなく、椅子やスタッフの配置まで綺麗にデザインされていますよね。

MH : 『畑多楽縁』では畑を見守る「畑守」さんが7名います。その方々に手伝ってもらい、畑のデザインから、椅子の高さ、小上がりの高さまで打ち合わせを何度も重ねてきました。「畑守」さんの多くが看護師の方で病院で働いていた時のような阿吽の呼吸で動いたり、プロジェクトの相談をさせてもらったりしています。ただ、看護師だけで行うことの限界も同時に感じていて、看護師以外の職種の力も大いに借りています。また、一緒に病院で働いてきた方達の中には素晴らしい看護師の方が多くいます。その能力を病院内だけに留めておくのはもったいない。看護師だけではなく、様々な専門性のある職種の方々がもっと病院の外に出て、病気の予防、健康を保つ役割を担う人が増えていってほしいと心から願います。




「どう生きたいか」を自発的に問う
人と人が繋がるコミュニティ

KA : 往診はイメージ的に伴走するという印象がありますね。物でたとえるなら、修理というよりはメンテナンスのイメージ、一緒に生きていくというような。

MH : 『畑多楽縁』は「何かあるなしに関わらず畑にいるから来て」という心持ちで活動しています。

KA : そう考えると、病気が悪化していない人の生活背景を見ながら、楽しんで一緒に作業できる場所として、畑というフィールドを選んだのは理に適っていますね。居酒屋だと子どもやアルコールを飲めない人は入りにくい。一方、畑は誰にでもオープンで、しかも、こちらから往診に行かなくても来てくれる場として最適です。

MH : 病院で看護師をしていた時は心身ともに不健康でした。夜勤の連続で余裕がなくて「適切な言葉をかけることができているのか」と迷う日もありました。自身の心身の状態が良好に保てていないのに本当に満足のいく看護を提供できているのか自信がありませんでした。しかし、現在フィールドとしている畑は私が好きな場所で、幼少期から慣れ親しみ、自然と健康が維持できる環境です。関わってくれる畑守さんにも「自分と家族の健康が第一」と伝えています。

AS : 『畑多楽縁』は自浄効果を促される感覚がありますよね。今日初めて会う人だけれども、畑を通じてコミュニケーションを図る中で自然と心が開放されて楽になっていく感覚。相手に施してもらっているというよりは自分からオープンになっていくから良いのだと感じました。

MH : 自分の身体は自分でしか抑制できないし、痛みも自分しかわかりません。周りの大切な人もいつかは亡くなってしまいます。その時が訪れたら、自分で考えて生きていかないといけない。どう生きるかを自分の頭で考えて、行動しなければいけないと思います。

KA : きっかけが畑というだけで、『畑多楽縁』は往診と同じように「どう生きたいか?」を自発的に皆でやり始めたという感じですね。

AS : 極論を言うと畑でなくてもいいかもしれませんね。誰かが同じようなことをしたいと思った時は、自分の生きてきた背景や馴染み深い場所でコミュニティデザインをして、「どう生きたいか?」を考えていけばいい。そのような意味で『畑多楽縁』というのは、再現性の高いモデルなのだと思います。現在のチームは看護師の方が多いと聞きましたが、どのように形成されたのですか?

MH : 毎週月曜日に『暮らしの保健室』をカフェの一角をお借りして開いているのですが、そこへ、何か新しいことに挑戦したい、あるいは、現在のしくみに限界を持っている医療関係者が何人か訪れてくれて、その方々が少しずつサポートをしてくれるようになりました。看護師という共通点がありつつも私にはない視点を持っている素晴らしい仲間です。




畑から始まる「社会的処方」

KA : 僕は小さな頃からあまり身体が強い方ではないから、医療制度には興味があって個人的に調べたりしているのですが、イギリスの家庭医制度はそもそも日本とは大きく違うことに驚きました。海外では健康にしていくことが社会的にも仕事として認められている。病気になった人に対処することも大切ですが、病気にさせないことを主眼に置く家庭医さんが増加した方が社会としては健康的な気がします。

MH : 「社会的処方」というイギリス発祥の言葉で、「市民活動が誰かの薬になる」という考え方があります。例えば、「夜眠れない」というおばあちゃんが病院に訪れて相談したとして、先生は睡眠薬を処方する。しかし、ライフスタイルを総合的にみると、そのおばあちゃんは家で一人暮らしだったりする。身体的な要請ではなく不安で不眠症になっていたとしたら、誰かと話すような場があることで、不安が軽減して快眠することができるかもしれない。日本ではまだ一般的ではありませんが、健康を維持する上で「社会的処方」による活動は大いに可能性があると思っています。

KA : 身体の調子が悪い時は、そもそも病院の何科へ行けばよいのかわからないので、身近に相談することができる人がいるというのは安心ですよね。

MH : 病気になってからではなく、病気になる前の健康を左右する要因に気付くことができるかが重要です。ただ、「健康」「医療」などの言葉を聞くとさっと人が引いてしまうのも事実です。単純に保健室を開くだけでは、健康な人は寄ってこない。だから「畑」という言葉を前面に出して、意図的に「健康」「医療」という言葉は奥に引っ込めて活動しています。

AS : 『畑多楽縁』が行いたいのは「社会的処方」だけれども、それを前面に押し出していないことが素晴らしいと感じました。医療という印象よりも、「畑で遊ぶ」や「畑で学ぶ」というような楽しい印象が勝っています。

MH : 参加される方は活動の意図に気付かなくても全然大丈夫だと思っています。畑に来て、農作業をして、会話をして、いつの間にか健康になっている笑。その方が健康になる近道のような気がします。多くの人が健康であることが、自分自身の健康にも繋がるので相談も無料で応じるようにしています。

AS : 『畑多楽縁』は「大人の公園」のような感覚もありますよね。僕には3歳になる娘がいるのですが、家の中だけでは力を持て余して、よく公園で発散させます。公園では同じくらいの小さな子どもたちが遊んでいて、ちょっとしたきっかけさえあればすぐ仲良くなれる。しかし、大人ではそう簡単にはいかない。『畑多楽縁』が巧いのは、本人が望むのであれば、参加者同士を交流させるようなファシリテーションが自然に行われていることだと思います。

MH : 紫波町にも多くの公園がありますが、実際、有効活用されている場所は少ないような気がします。ただ場があるだけで、人は繋がりにくい。自分は引きこもりだと仰る方が言っていましたが、公園にひとりでいると凄く目立ってしまうそうです。だからここに居てもいいよという居場所があればいいなと。居場所があることで、生きる力を自分自身で培えるのではないかと思ってしまいます。

AS : パブリックスペースの在り方を考えてしまいますね。基本的には自由に過ごして良いけれども、繋がろうと思えば緩い繋がりをつくることができるような場所。やはり、『畑多楽縁』の畑守さんのようなファシリテーター役が必要なのかもしれません。

MH : 私たち畑守が掃除のおばさんになれば健康な公園になるのですが笑。

KA : 真土香さんがこれまで行なってきたことは必ず環境とセットになっていますよね。往診だと自宅、医療的なアドバイスをする居酒屋もそうです。そこからカフェとなり、現在は畑に落ち着いている。本質的には行なっていること自体に変化はないけれども、環境を変えることで、最も効果的に機能する場を試しているような気がします。そうしたさまざまな場所の中でも、きっと自分の内側が立ってくる場というものがあるのではないでしょうか?外側である環境要因によって自分を引き出してくれるような場。そのような意味では、家に往診に行くことと畑で保健室を開くことはとても似ているのかもしれません。

AS : 実際接してみて畑にいる真土香さんは非常にナチュラルな印象がありますよ。きっと幼い頃から馴染んでいた場所だから、リラックスして臨めるのでしょうね。

MH : カフェや公民館で相談に応じていても、なんとなく畑の方がいいかなと思う時は「畑で相談に乗ります」と伝えるようにしています。

AS : 農作業のようなある種の単純作業をしながら会話ができるということは実に良いことかもしれませんね。部屋の中で対面で相談を受けて煮詰まったりすると、深刻度が増していったりしますよね。しかし、畑のように一度話を切り上げて別の作業に移ったり、横並びで作業をしたり、柔軟にポジションを変えることで空気も変化させることができる。そのような身体的な自由を得るという意味でも畑は有効なのではないでしょうか。また、1対1だけではなく、グループ間での振る舞いを見られるのも大きいですよね。

MH : 往診も患者さんのパーソナルエリアに入っていくから、当時の院長には「白衣を着ないで私服で行きなさい、医療器具もなるべく見せない。いかに患者さんの生活に溶け込むかが大切だ」と言われたことがあります。その経験が『畑多楽縁』での環境づくりのベースになっているかもしれません。

KA : 相談相手の動作を含めてコミュニケーションなのだと思います。人は実際、言葉を交わしていても本当は何を考えているかは理解できないことも多い。それよりも作業している最中の動き方や景色を眺めている姿の方がその人自身の現在を表しているような気がします。

MH : 言葉だけでなくて声のトーンとか目の動きとか全体を見て感じ取っていくことが大切です。しかし、病院では多忙で疲弊して少しづつ自身の感覚が壊れていってしまう。だから今は外に出て、自分の健康が保たれる畑という場で看護の力を発揮したいと思うようになりました。

KA : 国からのバックアップはありますか?

MH : 正直なところ財源はありません。健康に関わる今の活動のようなものを守る為に、私の場合は地域おこし協力隊として活動費を賄っています。

KA : 国の補助金を受けて行うと逆に制約が設けられて難しいという側面もありそうですね。そう考えると、畑が多くある古館という小さな地域から行うことは良いことかもしれません。小回りが効く環境だと、たとえば、この地区の看護師さんはいつでもこのような活動をできる、といった独自ルールをつくったりできそうですしね。僕も家庭医制度のような考え方や仕組みが日本で広まることを望んでいるので、この機運が高まることを願っています。

AS : 『畑多楽縁』を通じて、「社会的処方」という考え方が知れ渡り、「そういうやり方もあるんだ」と思ってくれたり、「私も支援したい」、「私も活動したい」と思ってくれるプレイヤー自体が増えればいいですね。陰ながら応援しています。